はじめに:今や知らない人はいない「キムタク」の始まり
木村拓哉(1972年11月13日生まれ/東京都出身)は、現在の日本エンタメ界において欠かせない存在だ。しかし誰もが「キムタク」と呼ぶスターにも、地味で目立たない下積み時代が存在した。今回は、SMAP結成前後から売れるまでの木村拓哉の姿を中心に、ファンの心に響く「原点」をたどっていく。
1987年11月:親戚が履歴書を送ったことで人生が一変
木村拓哉は、本人の知らぬ間に親戚が履歴書をジャニーズ事務所へ送付。1987年11月、ジャニーズ事務所に入所。当時の彼はまだ中学生で、スカウトやオーディションに縁のないごく普通の少年だった。
1988年:スケートボーイズからSMAP誕生へ
1988年、光GENJIのバックダンサーとして活動する「スケートボーイズ」の一員に。その中から選抜された6人(中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾)によって、SMAPが誕生する。
当時のSMAPは、「アイドルらしくない」「個性がバラバラ」「歌が下手」とまで言われることも多く、正直人気は今ひとつ。ジャニーズ内でも異色のグループだった。
売れなかった時代の木村拓哉
当初のSMAPは、CDを出してもなかなかヒットしなかった。メディア露出は多いものの、人気はジャニーズ内でも後ろの方。しかし、木村拓哉は「芝居の道」に可能性を見出す。
1990年にはTBS系のドラマスペシャル『おとうと』で、斉藤由貴と姉弟役を演じ注目を集める。木村の「演技」に光が見えはじめた。
デビュー前の知られざるドラマ出演
- 1990年:『おとうと』…姉思いの青年・碧郎を好演
- 1991年:『松葉杖のラガーマン』…初主演ドラマでラグビー少年を熱演
- 1992年:『少女以上・少年未満』…内面の揺れ動く高校生をリアルに表現
- 1992年:『その時、ハートは盗まれた』…一色紗英、内田有紀と共演。学園ラブストーリーで、徐々に女性人気が高まる
『その時ハートは盗まれた』とググると出てきますよ。内田有紀と一色紗英と木村拓哉。 #tokyopod pic.twitter.com/XAQQqHvOYb
— Saitoh Masaya (@MS3110) December 17, 2018
ここから、キムタク=恋愛ドラマの主人公というイメージが定着していく。
「シュート!」で映画初主演、演技派への道を開く
1994年、映画『シュート!』で主人公・久保嘉晴を演じ、第7回日刊スポーツ映画大賞「石原裕次郎新人賞」を受賞。原作は週刊少年マガジンの人気サッカー漫画。木村のソロ曲も挿入歌として使用され、SMAPとしてだけでなく、個人としての評価が高まりはじめる。
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『世にも奇妙な物語』でも存在感を放つ
バラエティだけでなく演技にも注目が集まり、以下のような『世にも奇妙な物語』シリーズで立て続けに主演:
- 「言葉のない部屋」(1992年)
- 「トイレの落書き」(1995年)
- 「パパラッチ」(1999年)
- 「BLACK ROOM」(2001年)
短編ながら印象的な役柄をこなし、”演技ができるアイドル”という立ち位置を確立する。
世にも奇妙な物語SMAPの特別編 樹木希林さんとの共演が懐かしくなって急にGet あの暗い空間であの会話で疑念,驚き,尊敬といろんな心情を表現できるなんてすごい…と改めて✨くるくる変わる木村拓哉の表情をご覧くださいって感じだよね😆検察側の罪人がまた見たくなった#木村拓哉 #BLACKROOM pic.twitter.com/HXK2bbgnoc
— まー♡ (@mah_jp5) September 25, 2018
まとめ:あの輝きは努力の積み重ねだった
デビュー前後の木村拓哉には、アイドルとしても、俳優としてもまだ評価されていなかった時代が確かにあった。だが、そこで腐らず、一つひとつの仕事に真剣に向き合い、自分の武器を見つけ、磨いてきたからこそ、今の「伝説」がある。
「キムタク」は、最初から”キムタク”だったわけではない。無名の時代、悩みながらも信じて前に進んだその姿が、今なお多くの人の心を動かし続けている理由なのだ。